幕末の京都を語る上で外せないのが、新選組。
京都の治安を守るため、いわば幕府の警察的存在として活躍した剣豪集団で、局長の近藤勇をはじめ、イケメンでおなじみの土方歳三や沖田総司らが有名です。
2020年にはV6の岡田准一さん主演映画『燃えよ剣』も公開され、再び新選組が注目を浴びる年になりそう。(個人的には2004年放送の大河ドラマ『新選組!』が大好きなのですが!)
今回はそんな新選組発祥の地である、京都の壬生近辺を巡りました!所要時間は約3時間。ぜひ京都観光の1つとして彼らの足跡をたどってみてください!
壬生近辺散策ルート
四条大宮→(徒歩3分)→光縁寺→(徒歩5分)→壬生寺→(徒歩1分)→新徳寺→(徒歩1分)→八木邸→(徒歩1分)→旧前川邸
新選組ゆかりの地巡り・京都壬生編は動画でもご覧いただけます!
スタートは四条大宮
新選組発祥の地・京都壬生巡りは、四条大宮駅からスタートします。今回散策する6つの場所はこのあたりに集結しているので、全て徒歩で回れるのが嬉しい。
光縁寺
四条大宮から歩いて3分。まずは光縁寺から。
ここは新選組総長(実質ナンバー3)の山南敬助をはじめ、28人の隊士関係者が埋葬されました。(途中で墓が移った人もいるため、現在はこの数ではありません。)
隊を脱走した罰で切腹を余儀なくされた山南。彼の家紋とここの寺紋が同じという縁から住職と付き合いがあり、死後はこの寺に埋葬されました。
基本的に「見学」は禁止されており、「参拝」という形でお墓に行くことができます。
総長という幹部であろうと、局中法度を破れば切腹という例外を認めない厳しい新選組を象徴している山南の死。しっかり手をあわせてきました。
大河ドラマ『新選組!』の撮影前、土方を演じた山本耕史さんがここに足を運んだ際、ここで何かを感じたらしく、すぐに山南を演じる堺雅人さんに勧めました。しかし堺さんは、「特に何も感じなかった」とのこと…笑。対極的なお二人の感性が伝わるエピソードですね。
お寺に入ると、28人の埋葬者一覧が頂けます。山南のほかにも、四番隊組長の松原忠司や沖田総司の恋人と言われている女性のお墓もあります。
以前は元隊士の伊東甲子太郎や藤堂平助も葬られていましたが、のちに戒光寺に移されました。
壬生寺
光縁寺から5分で壬生寺。私は間違って北門から入ってしまいました…。
ここは隊士たちの訓練場として利用されていたことで有名ですが、ときにはここで壬生狂言を鑑賞したり、相撲の興行を催したりしていました。沖田総司が近所の子どもたちとここで遊んでいたという話も残っています。
寺にある壬生塚には、近藤の胸像や隊士たちの墓があります。
局長・近藤勇の胸像。この横には毛髪塔もありました。
初代局長である芹沢鴨と芹沢一派だった平山五郎の墓。
酒癖と素行が悪かった芹沢たちは、商屋に行っては金をせびり、出し渋りされると焼き討ちにするなどの悪行が目立ちました。この行動を見逃すわけにはいかなくなった京都守護職・松平容保の命により、新選組内で暗殺されています。
近藤の暗殺は後ほど訪れる八木邸で決行されました。
勘定方(会計係)だった河合耆三郎の墓。隊のお金を紛失し、その責任をとるために切腹させられました。
足りないお金を実家から飛脚で送金してもらう予定でしたが、父が出張中でうまく連絡が行き届かず、約束の期限に間に合わなかったため死で償うことに。
後日お金は届きましたが、この切腹に怒った実家が彼のために立派な墓を壬生寺に建立。裕福な商家だったことがわかる大きさの墓でした。
新選組は京都の治安を守るため浪士を切り殺していたイメージを持たれていますが、実は敵方浪士の殺害は40人ほどで、粛清として命を落とした隊士のほうが多いと言われています。
新選組を讃える歌『あゝ新選組』の歌碑の横にあるボタンを押すと、曲の3番まで歌が流れます。
一度押してしまうと、どうにもその場から離れられず一人佇んで聞いてきましたが、時代を感じる味のある曲でした。
壬生塚の地下には歴史資料室も無料で見学でき、そこには天皇から下賜された寺宝や壬生狂言の映像を見ることができます。
また、壬生寺限定の新選組グッズも多く販売されていて、お財布の紐がかなり緩みました。
店員さんのお話によると、最近は新選組をテーマにしたアニメやゲームが多数出ていることから、若いファンの方が来ることが増えたんだそうです。
ちなみに2020年限定販売だった、新選組御朱印帳・土方歳三版が、映画『燃えよ剣』の公開に合わせ復刻販売されており、私も迷わず購入しました。
そのほか、近藤勇版や斎藤一版も販売。表紙にそれぞれが使用した刀、裏には彼らの武士の生き様に関する名言が書かれています。
(名言の詳しい詳細は、購入品紹介記事に記載しています!)
北門から入り、最後は正門から出ました。北門のほうには特に新選組に関する見所はないので、正門から入り、正門から出るのがベターかなと思います。
新徳寺(新徳禅寺)
壬生寺から徒歩1分、続いては新徳寺(新徳禅寺)。一般公開されていないため、外観のみの見学です。
このあたりはゆかりの名所が集結しているので、ちょっと歩けば目的地に到着します、というかすぐに見えてきます。
ここは近藤や土方をはじめとする江戸から来た浪士たちのリーダー・清河八郎が演説を行った寺。
元々この浪士たちは、京都に来る14代将軍家茂の警護のために集められた集団でした。しかし京都に到着し一同びっくり。
なんとこの演説で清河が発したのは「君たちは将軍家のためではなく、天皇家のためにこれから警護をしてもらう!」という全く逆の目的だったのです。
「江戸はこれからどんどん荒れる!天皇のために江戸を、日本をお守りするのだ〜」と言い放ち、朝廷に忠誠を誓う挨拶をしたのち、再び江戸に戻ることを浪士たちに告げました。
「自分たちはそんな目的で来たわけではないぞ!」と清河に真っ向から反対意見を投げかけたのが、近藤や芹沢などの浪士。彼らは清河に従わず、京都に残ることを決意し、『壬生浪士組』を結成しました。
これがのちの新選組です。
まさにこの場所で、新選組の第一歩が始まりました!
八木邸
新徳寺(新徳禅寺)から歩いて1分、八木邸に到着します。ここは新選組最初の屯所であり、初代局長・芹沢鴨が暗殺された現場です。
誠の旗やダンダラ羽織の柄が目に飛び込み、このあたりで一番新選組を視覚で感じる場所かもしれません。まさに新選組巡りの聖地的存在!
入場料1,100円を支払うと、1時間に1回ガイドさんによる解説付きで見学ができます。私が行った日は人がほとんどいなかったこともあり、到着してすぐに案内をしていただきました。
受付場所である和菓子屋『鶴屋』を出てすぐ右手には、沖田総司の腰掛石があります。実際に座ってもOKですが、恐れ多くて写真を撮るだけで精一杯でした。
邸宅内は撮影が禁止のため写真はありませんが、邸宅内には芹沢鴨が殺される前に残した刀傷と、足を引っ掛けたことにより命取りとなった文机が現存しています。
2004年の大河ドラマ撮影時には、毎日3000人近い人が見学に来て刀傷を直接触ったため、どんどん傷の角が丸くなってしまい、現在は透明の板でガードされていました。
芹沢の寝室だった部屋には、彼と一緒に殺された愛人の梅と平山の仏壇があり、暗殺された10月になると毎年芹沢の末裔が手を合わせに来るんだそうです。
新選組が八木邸にいたのは西本願寺に移転するまでの3年ちょっと。この間に隊士の数はどんどん増え、さらには「8月18日の政変」や「池田屋事件」でその名を世間に轟かすようになりました。彼らが一番輝いていた時期だったのではと個人的には思います。
新選組の人数が増え八木邸に入りきらなくなったため、周辺の名士の家がどんどん屯所になっていきました。しかし、各家主は新選組と生活するのを嫌がり、ほとんどが家を出たんだとか。
しかし八木源之丞家族だけは彼らの寝食の面倒を最後までみました。そのため、他のどの家よりも新選組の様子を見ており、継承できる話が多いんだそうです。
八木邸横には現在も末裔の方が生活されています。
八木邸に住むことができたのは、水戸藩の武士であった芹沢たちのみ。屯所であっても身分は重要視されていたため、近藤や土方などは現在の和菓子屋『鶴屋』の別邸に住んでいました。
見学を終えると、その和菓子屋の休憩所で冷たいお抹茶と「屯所餅」が振る舞われます。この日はとっても暑かったため、冷茶が体に染み入った〜!
お菓子をいただいているこの場所に近藤や土方たちがいたのかと思うと、なんだか感慨深い気持ちになります。
旧前川邸
八木邸から徒歩1分のところにある旧前川邸。隊士の人数が増え、のちに屯所に加わった場所です。
ここには、長州勢に武器などを調達していた尊皇志士・古高俊太郎を拷問した蔵があり、蔵内には当時の道具も現存しているんだそう。
土方による拷問で、古高は自白。その内容は「京都御所に火を放ち、そのまま天皇を長州に連れ出すこと」と「一橋慶喜(のちの15代将軍)と松平容保の暗殺」。
これを阻止すべく、長州勢が計画の打ち合わせをしていた池田屋に襲撃したのが、世に言う「池田屋事件」です。幕末の京都を揺るがす大事件は、この場所で発覚したのでした。
そして忘れちゃいけないのが、こちらの塀。山南敬助が切腹前最期に恋人と会話した出窓がここにありました(現在は撤去され、塀になっています)。
恋人の明里という女性は島原の芸妓さんのようですが、島原の記録には残っていないんだそう。また、明治に入り新選組の記録を残した2番隊組長・永倉新八の話にも、この女性は出てこないことから、創作とも言われています。
この塀の向こうにある部屋で、山南は切腹。大河ドラマの切腹回(33話)はティッシュを何枚使うんだというほど、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったなぁ…。
旧前川邸は一般公開はされていませんが、土日のみ正門前で新選組グッズが販売されています。
まとめ
新選組発祥の地・壬生はどこも歩いて回れます。ぜひ彼らの軌跡をご自身の足で見てみてはいかがでしょうか。
この散策で購入した新選組グッズはこちらの記事でご紹介しています!
▽この散策の様子は動画でもご覧いただけます。