京都在住ライターの江角悠子さんが主宰する「京都ライター塾」の4回目。ついこの前「はじめまして!」とご挨拶したと思ったら、残すところ今回を含めて2回となった(全5回)。
この日のテーマは「文章の添削」。
前半はあらかじめ課題として出されていたインタビュー記事を江角さんに添削していただき、後半は私自身が他者の原稿を添削することに。
これまでは直される側で、ただただ生まれ変わった文章に感動しっぱなしだったけれど、直す側を経験したことで、その難しさとそれを上回る学びを今回は経験することができた。
添削をしてもらう

前回の講座では、身近な人へインタビューをし、それを原稿にするという課題が出されていた。テーマは「暮らしの中で大切にしていること」。私はインタビュー対象に父を選んだ。
インタビュー自体はスムーズに進んだものの、いざ原稿にしてみるとと所々物足りない点が出てくる。その最大の理由は、父の背景を知ってるゆえに、抽象的な言葉でも勝手に理解し、話を進めてしまっていたから。
これをいざ原稿にすると、初見の読者にとっては「なんのこっちゃ?」という内容がいくつか散見されてしまった。
でも改めて父にインタビューしたことで、父の言葉をじっくり聞くことができたし、家族なのに気づかなかった父の思いにも触れられた機会を得られた。
江角さんから戻ってきた原稿は、しっかり朱を入れていただいており、大物作家になった気分(プラス思考)!笑
- 読者に考えさせず、すんなり読んで理解できる内容にする
- 会話文のときにはその人が使う単語を想像する
- 会話文はです・ます調がいい
- インタビューの雰囲気が伝わるような表現を補足する
- 「」や句読点、改行のルール
以上のことを説明していただきながら、新しく生まれ変わったインタビュー記事を一緒に読み直した。
「添削はあくまで読者のためのもの」と江角さんが話してくださったことが、添削後の原稿を読み、よく理解できた。たとえ私が父を全く知らなくとも、どんな感じで話していて、何を伝えたかったのかがよくわかる内容になっていた。
文章を直されると、つい悲しい気持ちになる人もいるかもしれないが、それは自分の書きたい文章を添削されたわけではなく、読みやすくなる文章への添削だと考えると納得がいくはず。
では「読者のための文章」って、どうやって具体的にはどうやって書けばいいんだろう…という疑問が生じてくるが、これは実際に自分が他者の文章を添削することで浮き彫りになる。
添削をしてみる

講座の後半では、実際に誰かが書いた文章を添削した。これがとても勉強になった。
頭の中をまっさらに、しかも情報を求めている状態で文章を読むと、もっとここを補足してほしい、ここは1行にまとめられる…など、どんどん出てくる。
一方で私はプロの編集者でもないわけで、専門的な知識ではなく自分の感覚のみで添削を行ったため、どうも重箱の隅をつついている感覚にも襲われた。私だって満足に書けないのに、一丁前にごめんね…と書き手に深々と心の中で頭を下げる。
全部で5つのお店紹介記事の添削をし、1つ私が添削するごとに、江角さんがどのような添削を行ったかも教えてもらった。
江角さんと私の添削部分を比較することで、自分の感覚の見直しもできるし、自信がつく部分も生まれる。
自分が読者としてこう書いて欲しいと望むことは、私が書き手になったときに望まれるものだ。
商業ライターには客観的にものをみる力が必要だと教わってきたが、自身の文章を客観的に読むことで、ツッコミどころが見つかってくる。書き手としてわかったつもりでいるからこそ、読み手として頭をまっさらにして原稿と向き合うことがとても大事。
私が今回のインタビュー記事でもっともできていなかった「客観的な立場になって文章を書く、見直す」ことがどれほど重要なことであるかを、添削をしてみることで身をもって実感した。
4回目の講座を受けて
気が付けば、ライター塾も残りあと1回。早すぎる!
今回の添削講座を受けて、これまでいかに「書きたい文章」を書いてきたかを痛感した。心のどこかでは人に読んでもらいたいとおもっていたものの、「自分の文章」を読んで欲しいという気持ちがどこか大きく、結局読者は二の次になっていたような気がする。
しかし今回の講座を通じて、自分の文章をしっかり添削していただき、また人の文章を添削することで、伝える文章には書き手の自己満足など不要だということがよーーーーくわかった。
過去3回の講座では、文章やインタビュースキルに必死な私だったけれど、4回目にして「商業ライター」の本質的な部分が少しばかり理解できた気がする。